サイケモンの日記

つらいのは少ないといいな。

生ごみの匂い

ある時まで、私は親に「虐待」をされてきたという言い方をしなかった。

暴力といういい方で表現してきた。

何故なら、365日の内ある一定の日数は、一緒にいて楽しいという気持ちにもなったから。勉強もさせてもらった、習い事もさせてもらった。感謝するべきところがもちろんある。相手が100%真っ黒だったら、心おきなく憎むことが出来るのだけど。

 

今でも虐待という言葉は使いにくい。

でも、兄妹と今までされてきた過去のことを客観的な視点で話すとやはりあれは虐待だったと思うし、虐待をテーマに扱う本や映画を見ると、どうしても感情移入しすぎてしまって辛くて涙が止まらなくなり、ページを繰るのが難しくなることもある。

だから、あれは虐待だったんだろう。

 

最近研究が忙しくて、バラ肉や小松菜を腐らせてしまったり、研究室に持って行った炊いたお米を食べるのを忘れて腐らせてしまっていた。

ごみ袋を占めると、それらの匂いがツンと鼻を刺しショウジョウバエが一匹袋の周りを飛んでいた。

この匂いでふと思い出したのが、ごみ溜め場で矯正器具を探させられた時のこと。

 

当時私は小学生で、夜の間、歯にはめるタイプの矯正をさせてもらっていたのだけど、ある時なくしてしまった。家じゅうを探したのだけれど見つからず、最終的に親に告げたところ怒られた。まあしょうがない。

そして、間違って捨ててしまったのかもしれないのだから、ごみ溜め場にいって探しなさいと。

40階建てくらいのタワーマンションに住んでいて、ごみは、各家のダストシュートから1つの場所に溜められるようになっていた。

何部屋あるのか分からない家のごみが一か所にたまるその場所は、吐き気を催す匂いだった。絶対に、この中から矯正器具を探すなんて無理なのに。