サイケモンの日記

たのしいことあると嬉しいけど、なくても大丈夫。つらいのは無いのがいいな。

「誤解を解きたい」に引っかる

 3カ月二股をかけていた相手とは、最初の3週間目で1発目のお別れを申し出るタイミングがあった。理由は、メンチ切られたと言ってスーパーで口喧嘩を始めたのを見て怖くなったから。

 当時、私は旧彼氏と一緒に住んでいた家から、最低限の荷物を持って、一時的に新彼氏の家に転がり込んでいた。お邪魔してから1週間程経っていた頃、上述の喧嘩イベントが勃発した。

 喧嘩するような人、ひいては、過去の喧嘩について滔々と語ってくるような人とはやっていけないなと思い、荷物をまとめなおし、新彼氏が出社しているうちに、タクシーで元の家に帰ることにした。

「怒る」に感情はあまり含まれていない……?

 タクシーに乗っている間に、新彼氏から電話がかかってきた。電話では、喧嘩をしてしまったことの弁解に付随して、何か気に食わない態度を取られたときに「怒る」という手段を取っているという話をし始めた。「怒る」ことで、自分が不満に思っている、ということが通じやすくなり、対応の遅い店員の態度が改まる、といったことを話してきていた。よけいに、彼とは一緒に居ることは出来ないなと思い始めた。

 店員さんの対応が遅くても別によくない?急いでいるなら、「怒る」という手段を通さなくても、事情を説明してお願いすればよくない?

 自分だったら「怒る」という手段はとらず、説明や、それでも伝わらない場合は感情的ではない方法で伝える、と話をした。すると相手は、「怒る」という言葉に感情的な意味合いはほとんど入っていない。注意する、といったニュアンスで使っている、と言ってきた。

 いや、それは無理があるだろうと思ったのだけれど、私と相手との間で、「「怒る」という言葉の使い方が異なっていることが分かって良かった」と伝えた。まあ、正直「怒る」は感情の表現でしかないので、相手が間違っていると思っていたけれど、そういった意味合いで用いる派閥もあるのかもしれないと当時は思った。

 すると、その相手が返してきたのは、「誤解を解くことが出来て良かった。」だった。

 またも衝撃だ。いやいや百歩譲って、相手と私との間の単語認識の不一致が原因なわけでしょう?なんで、「誤解」というような、私が一方的に誤った理解をしている、という形になるわけ?

 「誤解」というのは一方的に理解をしてしまうことを指すと思う。何か説明をした後に、相手の理解が間違っていた、という場合は、自分の伝え方が分かりにくかったり不備がある可能性もある。そういう場合に使うべき言葉は「語弊のある伝え方をしていた」だと思う。

 でもしょうがない、相手は言葉の使い方が私と違う相手なのだから、とりあえず最後の「良かった」だけ心に留めておいて、その他7割の「誤解」「解く」「出来た」の部分は指摘しないでおこうと思った。しかし、後々にもずっと続くことだが、用いている言葉の前提が異なると、お互い意思疎通がしにくい。特に恋人として長い期間過ごすのであれば、体の相性だけではやっていけない。が、結局それから2ヶ月ほどズルズルと関係は続くのであった。